象の頭は、献身、忍耐、真理の象徴
ガネーシャ神は、象の頭をしています。神話において、象は、献身、忍耐、真理を象徴しています。そして、象は、その知性の高さで知られる生き物です。
象は、密林に踏み入り、とげの多い未開の茂みを勇敢に進み、そして、新たな道を開拓することにより、人間の導き手として活動しています。
それと同様に、人生という森の中では、苦痛、悲しみ、苦難といった、とげの多い未開の茂みを開拓するために、人は、知性によって示された、道を進まなければなりません。
ガネーシャ神が象の頭を持っていることは、献身、忍耐、真理により、人々を正しい道(人生の方向)へ導くことができることの象徴でもあるのです。
ガネーシャ神の目、耳、鼻が象徴するもの
象は、目、耳、鼻が発達していて、視覚、聴覚、嗅覚などの感覚が微細なことで有名です。
象は、身体の大きさに比べて、とても小さな目をしていますが、近くのものはもちろんのこと、はるか遠くにあるものまで、よく見ることができます。これは、ガネーシャ神が、とても微細に、いろんな物事を見通すことができることを象徴しています。
※象は視力が悪いという説もあり、逆に、象は内的な目が発達しているのだという解釈もあります。
象は、うちわのような大きな耳を持っていて、遠くの微細な音まで聞くことができます。そして、雑音など、聞きたくない音については、その大きな耳で、遮断することもできます。このような象の大きな耳は、ガネーシャ神が、多くの人の望みや意見を聞き入れられる、指導者としての資質をもっていること、そして、自分の意志によって、聴覚をコントロールし、聞きたくないときには、雑音をシャットアウトして、瞑想に集中できることを象徴しています。
象は、その長い鼻で、微細に、いろんなものを嗅ぎ分けることや、必要なものを拾い上げて、必要のないものを投げ捨てることができます。このような象の鼻は、ガネーシャ神が、いろんな物事を微細に識別する智慧を持っていて、必要なものと必要のないものとを、正しく取捨選択できることの象徴です。
ガネーシャ神の乗り物はネズミ
ガネーシャ神の乗り物がネズミであることは有名ですが、このことは、非常に興味深いことです。
神話によると、このネズミは、退治された悪魔がガネーシャ神によって姿を変えられたものであるとされ、暗闇を象徴しています。
そして、ガネーシャ神が、このネズミを乗り物にしているということは、彼が暗闇の世界を調御していることの象徴なのです。
また、ネズミは、嗅覚の象徴でもあります。ネズミは、嗅覚のする方向へ自由に動き回ります。そのため、ガネーシャ神は、ネズミによって象徴されている欲望と無智を制御してくれるものであることを象徴しています。
智慧に優れたガネーシャ神の神話
ガネーシャ神は、短い脚をもっています。そして、この短い脚のため、ガネーシャ神は、速く走ることができないかわり、ゆっくりと、着実に、進んでいく、堅実さを持ちあわせていることを象徴しています。
また、ガネーシャ神が、身体を動かすかわりに、智慧によって行動すること、あるいは、自分が動くよりも、智慧によって人を動かすことのできる、指導者としての資質を持っていることを象徴しています。
神話には、このようなガネーシャ神の智慧を表すエピソードがあります。
シヴァ神とパールヴァティー女神は、あるとき、ガネーシャ神と、その弟、カルティケーヤとを競争させました。その競争とは、世界中を3回、先に回った方が勝者となるというものでした。
弟カルティケーヤは、彼の乗り物である孔雀に乗って、地球の周りを回ろうとしました。しかし、ガネーシャ神は、乗り物がネズミですから、まともに競争したのでは、孔雀に乗った、弟カルティケーヤに勝てそうにありません。
そこで、ガネーシャ神は、智慧を使い、地球の周りを回らずに、両親である、シヴァ神とパールヴァティー女神の周りを歩いて回りました。これについて、ガネーシャ神は、「自分にとって両親は世界に等しい」ということを説明しました。
これに喜んだシヴァ神は、「重大な仕事を行うときには、まず初めにガネーシャ神に礼拝しなければならない」という恩典を彼に与えたのです。
※ヒンドゥーのどの神様をまつる寺院でも、入り口の一番近くに、ガネーシャ神像が設置されていることが多いのは、上記の通り、ガネーシャ神を最初に礼拝しなければならないというシヴァ神の指示があるからです。これは、家で、プージャーを行うときも同じです。
折れた片方の牙は純粋な帰依の象徴
ガネーシャ神は、エーカダンタ(一本牙)としても知られています。なぜなら、ガネーシャ神の牙は、片方が折れているからです。
パドマ・プラーナによると、ある日、シヴァ神が眠っているとき、パラシュラーマという神がやってきました。
けれども、ガネーシャ神は、父親の眠りが阻害されることを嫌い、パラシュラーマを中に入れることを拒みました。そして、パラシュラーマが、無理矢理に、中に入ろうとしたとき、争いが起きてしまいました。そのもめあいの中で、パラシュラーマは、斧をガネーシャ神に投げつけました。
ところが、ガネーシャ神は、その斧がシヴァ神から与えられたものであることを認識して、父であるシヴァ神に対する敬意から、あえてその武器を避けることをしませんでした。そして、その打撃を片方の牙に受けてしまった結果、その牙が折れてしまったのです。 この神話によると、折れたガネーシャ神の牙はガネーシャ神の純粋な帰依の心を象徴していることがわかります。
※ガネーシャ神に関する神話は、数多く存在します。そして、神話の中には、互いに矛盾する内容も多々あります。しかし、このような神話は、それが実話であるかどうかというより、そこに示されている教訓を読み取ることの方がより大切です。
『マハーバーラタ』を口述筆記したガネーシャ神
聖者ヴィヤーサが語った、あの有名な大叙事詩『マハーバーラタ』の内容を口述筆記したのは、ガネーシャ神であると信じられています。
聖者ヴィヤーサが、ガネーシャ神に、叙事詩を書きとめるように依頼したとき、ガネーシャ神は、その物語が完成するまで、そのペンが止まることのないように、聖者ヴィヤーサが語り続けるという条件で、それに合意しました。
聖者ヴィヤーサが、もし眠ったりして、途中で、叙事詩を語るのを止めてしまったら、ガネーシャ神は、口述筆記を止めて、すぐに姿を消してしまうというのでした。聖者ヴィヤーサは、それに同意しました。
けれども、ガネーシャ神の筆記速度が、普通の人とは比較にならないほど、速いことを知っていた聖者ヴィヤーサは、語ったことを完全に理解した後でしか、書かないように、ガネーシャ神に言い、ガネーシャ神は、それに同意しました。
そのため、聖者ヴィヤーサは、わざと複雑な文章を考え、ガネーシャ神が、それを考えようとして止まったときに、次に語る内容を考えることができるように工夫したのです。
ガネーシャ神は、『マハーバーラタ』を口述筆記したとき、折れた片方の牙をペンとして使用しました。このため、折れた方の牙は、ガネーシャ神の知性の高さの象徴でもあるのです。
※『マハーバーラタ』の中には、ヒンドゥー教における聖書のような役割を果たしている『バガヴァッド・ギータ』が包含されています。
※『マハーバーラタ』を語った聖者ヴィヤーサは、インド占星術における、もっとも重要な古典、『ブリハット・パーラーシャラ・ホーラー・シャーストラ』を著した、聖者パラーシャラの息子とされています。
タントラヨーガにおけるガネーシャ神
ガネーシャ神のお腹に巻かれたヘビは、霊的なエネルギーである、クンダリニー・シャクティーを象徴しています。密教的な修行法である、タントラヨーガにおいては、ガネーシャ神は、ムーラダーラ・チャクラの守護神であるとされています。
ムーラダーラ・チャクラは、尾てい骨の位置にある、基礎のチャクラです。一般人の場合、クンダリニー・シャクティーは、このムーラダーラ・チャクラに眠っていて、まったく活動していません。
一方、精神性、及び、霊性の進化を目的とする、ヨーガ修行者にとっては、このエネルギーを覚醒させることは、霊的な修行の第一歩として、非常に重要なプロセスです。すべての霊的な修行はここから始まると言っても過言ではありません。
このクンダリニーのエネルギーが上昇し、そのエネルギーによって、各チャクラが開かれるにしたがい、霊性が開発されていき、いろんな神秘力も開発されていくことになります。
タントラヨーガにおいて、ムーラダーラ・チャクラの守護神であるガネーシャ神は、このクンダリニー・シャクティーを覚醒させる力を持っています。そのため、ガネーシャ神に対して、マントラを唱えること、そして、プージャーをすることは、この霊的なエネルギーを覚醒するためにも、有効な手段であるとされているのです。